ZIGZAG MUSIC SCHOOLで、ボイストレーニング、ボーカルトレーニング、ギターコース、弾き語りコース、ベースコース、ドラムコース、DTMコース、作曲コース、作詞コース、動画制作コース、レコーディングエンジニアコースを担当しています、安田周平です。
図らずも、ハンター×ハンターみたいな題名でお送りする事となってしまった。
打ち込みでの楽曲制作や、楽器のライン録音が当然になった、昨今。
その音はどんどんリアルを模して、今やもう耳だけでは判断出来ないレベルにまでなりました。
楽器はもちろん、声すらどんどんリアルに。
このリアルへ向かおうとするベクトルが、どこかで「クリアでリアル」=良い音。
となる一つの要因だったことは、間違いないと思います。
ただ、本当にそうあるべきなのか?
ニセモノの音とホンモノの音についてちゃんと考えてみるには、いい頃合いなんじゃないでしょうか?
音楽は多かれ少なかれ、音以外の情報や情景を切り取って、「音」で繋がれてきました。
特に、情景の部分が、その音楽を楽しむために、最も必要な部分で、大切な部分な気がしています。
そこが読み取れない音が多くないでしょうか?
「クリアでリアル」に付着する「何か」が見えなくなっていないでしょうか?
極端な話をすると、AさんとBさんでそれぞれ全く違う場所、時間、歳、性別、国籍、気温、湿度、体調、気分、その他、何もかも全てが違おうとも、打ち込みの音源は、AさんとBさんで同じ音を出すことが出来ます。
その音に「人」という要素は限りなく薄いでしょう。
そうです。
クリアでリアルに付着、あえて付着と書いた何かは「人」です。
例えば、その音がピアノの音だったとしましょう。
それをマイクで録音しようとした時に、再生するスピーカーの種類、音量、録音する部屋の残響感、マイクの種類、スピーカーとマイクの距離などなど、録音するとなるとマイクと楽器(この場合、スピーカー)の間に、劣化と割り込みが生まれます。
その、劣化と割り込みにも、クリアでリアルと同等、もしくはそれ以上の価値がないだろうか。
どうやったらクリアでリアルな良い音録音し、後世に残せるか。
そんなことを必死に考えたが、結果、少し残ってしまった劣化や割り込みにこそ価値があるんじゃないだろうか?
今は、良い機材や技術が溢れかえってしまってクリアでリアルな音は意外と容易に作れてしまう。
だからこそ何かせねば。ただ録音する、以外の何かを。
ニセモノとホンモノ。
作り手や演奏家ではなく、音楽を聞くだけの人たちにちゃんと考えてもらいたい。
ニセモノで満足しているよ?その耳は、作り手や演奏家の頭まで腐らせているよ?
ニセモノはカッコ悪くて、ホンモノこそかっこいい。そこから眼を背けないでいて欲しいもんです。
唯一無二になりたい方はレッスンへお越しください。その可能性はみんな持ってます。
-1-225x300.jpeg)
-300x225.jpeg)
レコーディングへ行ってきます。
また。
吉祥寺のボイトレスクール「ZIGZAG MUSIC SCHOOL」の無料体験レッスンはこちら!