こんにちは、ZIGZAGミュージックスクールの岡です。
「行き詰まった…」
曲作りに行き詰まったとき。コード進行がワンパターンに思えてきたとき。歌詞が浮かばないとき。
そんなとき、正解を探したくなります。ノウハウ動画を漁ったり、他人の曲を聴いて自分との違いを見つけたり。でも、それは一時的な安心にはなっても、本当の意味で自分を自由にしてくれるものではないかもしれません。
あくまで考え方の一つですが、
創作を、「どう作るか」ではなく、「自分がどう在るか」と考えてみるのはどうでしょうか。
「創作は、“気づく”こと…かもしれない」
メロディがふと降りてきた瞬間や、コード進行の響きに自然と歌詞が乗るような感覚。それは、無理に何かを生み出したというより、もともとそこにあったものに気づいたような感覚に近いものです。
私は、創作とは“努力”と同じくらい、“感受性”が大切だと思っています。つまり、「作ろう」という姿勢と同じくらい、「すでにある何かを受け取る」アンテナが大切で、それが上手に作用した結果として良い曲に繋がる。
作曲に向かうときは、まず雑音を減らして、自分の中に耳を澄ませる。音楽は外から集めるだけではなく(もちろんそのような時期を設けることも大切です)、自分を通してやってくるもの。そう考えることで、音の捉え方が変わってくるかもしれません。
「制限は、創造の味方になる」
曲が自由すぎて、逆に手が動かなくなることがあります。そんなときは、自分に小さなルールを与えるのが有効です。
たとえば:
- 「今日はコード3つだけで作る」
- 「1時間だけで1曲作る」
- 「“季節”をテーマに歌詞を書く」
一見不自由に思えるかもしれませんが、制限は迷いを減らし、感性を研ぎ澄ます助けになります。選択肢が少ないからこそ、「どう鳴らすか」「どんな言葉を選ぶか」が際立ちます。
私自身、時間制限やコード制限を設けて曲作りをしたときの方が、驚くほど自然で面白いアイデアに出会えることが多いです。
なんででしょうね。8時間考えてもなにもできなかったのに、仕方なく「あと10分で作るか…」と考えた直後から出来上がることが度々あります。
「他人の目線をいったん脇に置く」
SNSの時代、どうしても「ウケるかどうか」「聴いてもらえるかどうか」が気になってしまいます。でも、曲作りの本質はそこにはありません。
本当に大事なのは、自分がその音や言葉に心が動かされているかどうかです。
「これ好きだな」「この響き、何かいいな」と思えるかどうか。それが、曲の核になると思っています。逆に言えば、自分が心から気に入っていない曲は、どこかに“無理”が出てしまう。聴き手は、そういう“空気”を敏感に感じ取ります。
だから、作っている最中は、再生回数やいいねのことは忘れましょう。まずは自分が納得できるかどうか。それだけを基準にしてみてください。
創作の過程こそが、最大のご褒美…かもしれない
「どんな作品を完成させるか」より、「どんな気持ちで作品と向き合っているか」。それが、創作を続けるうえで一番大切だと感じています。
私もたくさんの「未完の曲」や「ボツにしたメロディ」を持っています。ボイスメモには、いくらスクロールしても一番下まで辿り着けない量の楽曲があります。しかし、どれも“無駄”だったとは思いません。その時間もまた、新しい作品と出会うために必要なプロセスだったと、今は思えます。
それに、ボイスメモに吹き込んだ当初はただの情報の断片であったものが、数年、数十年経ってから作品になることも有り得ます。その間に私たちは、ある側面では成長し、ある側面では老化します。世の流れもその時々で大きく動きます。
作品がメモとして置いておかれている間に、私たちと世の中が変化することで、まるでタイムカプセルから得る手紙のような、新鮮なメッセージを自分から受け取ることもあります。
やみくもに完成だけを目指すと、創作は苦しくなります。むしろ、「今日、ちょっと良い響きを見つけられた」「歌詞の断片がひとつ浮かんだ」。そんな小さな気づきこそが、日々の創作を豊かにしてくれます。
「曲作りは、技術だけではどうにもならないことがあります。
上手く作ろうとするほど、手が止まってしまう。それは、「うまくやろう」とすることで、自分とのつながりが切れてしまうからかもしれません。
だからこそ、「自分がどういう状態でいるか」「何に気づいているか」を丁寧に見つめることが、いちばん大切な準備だと感じています。
音楽を始めた日の気持ち、なぜ曲を作るのかという動機。その原点に立ち返ると、創作のエネルギーが自然と湧いてくることがあります。
焦らずいきましょう。自分の中にある静かな感覚に耳を澄ませること。それが、音楽と関わる自分を自由にする第一歩だと思います。
-300x300.jpeg)
-300x300.jpeg)
そんなわけで、また次回にー。